アロママッサージ 新宿の存在意義
アロママッサージでも本格タイ古式マッサージやバリ式オイルマッサージがあります。アロマなので、心身共にリフレッシュできます。
「源氏物語」などを読んでいても、当時は通い婚で夫が通ってくるのだが、愛想が尽きてその夫が通って来なくなった惨めな女性の住まいを表現するのに、「草がぼうぼうと生えてきてしまっている」とか、「池が枯れてしまったーなどという表現をしている。
このような表現を使えば、夫が通って来なくなったということがわかるくらいに、自然とは放置されるものではない。
という考え方が根強くあったのである。
ところで、江戸の汚物処理システムは、17、18世紀の世界の状況の中では、最も進んだものの一つであったといえると思う。
特に糞尿については、周辺の農村で買い上げるという実に合理的な形になっていた。
糞原をかなり高額なお金で買い上げるわけで、各大名屋敷にはそれぞれ糞尿を買い上げる特権をもつ農家がついていた。
一方、各々の長屋にもトイレがあって、その糞尿を買い上げる人たちも特権をもっていた。
実は当時、この糞尿の値段が急騰していったため、農民の間で糞尿値上げ反対運動が起こるほどであった。
糞尿がそれだけ高価であったことは、街道沿いに公衆トイレを整備させることにもなった。
というのも、糞尿が落ちているのはお金が落ちているのと同じであれ、そうであれば、街道沿いに旅人などのためのトイレを設置し、糞尿を一カ所に集めたほうが効率的だったからである。
さらに馬糞は、放っておくと道ばたに点々と落ちていくものだが、これも結構なお金になるので、落ちるとすぐに誰かが拾っていってしまう。
わらじも、旅の途中ですり減ったら、捨てて、また買い替えて旅を続けるのだが、使い古されたわらじも、ほどなく誰かがもっていってしまう。
ずっとそのまま放置されることなどなかったのである。
これは、紙くずであっても同様であった。
長屋には、必ずかなり大きなゴミ箱が置かれていたが、あまり貯まらなかったのではないかと思われるぐらい、ゴミそのものに値段がついて流通していたのである。
江戸時代には、糞尿もゴミも商品だったわけだ。
とはいっても、もちろんゴミは出る。
出たゴミは無造作に川に捨てていたのだが、あるとき流されたゴミで川底が盛り上がり、船が通れなくなったことがあった。
先に述べたように、川は街の大動脈であったから、すぐにゴミの投棄禁止令が出された。
それ以降は、各町にゴミ箱が設置され、ゴミは必ずそこに捨てられることになったのである。
ゴミ箱に集まったゴミは、町内の人たちが自分たちで協力したり、人を雇ったりして川縁まで運ばれ、川船で搬出された。
川船に乗せて運ばれたこれらのゴミは埋立てに使われ、ゴミで埋め立てられた場所は畑となって、そこで野菜や穀物類などが栽培された。
このようなサイクルになっていたのである。
また当時、紙は非常に貴重なもので、リサイクルして繰り返し使っていた。
和紙の原料は何度も漉き返しができるので、最後の最後まで、それこそボロボロになるまで使い込んでいたのである。
布地も同様であった。
使い道をさまざまに変えながら、端切れになるまで何度も使い込み、極端にいえば最終的に消えてなくなるまで使ったのであった。
現在のビニールや発泡スチロールの代わりには、竹の皮が使われ、これはビニールのように最後まで残ってしまうことがなかった。
燃やされて灰になったものは、再び肥料として撒かれるわけで、多くのものがリサイクルされ、実に無駄なく循環していたといえる。
もちろん、このような循環は、糞尿にしても、竹の皮にしても一つの都市の中だけで完結できるものではなかった。
都市と周辺農村とが、経済的にしっかり連携していて初めて可能になるものであり、そこにいわゆる「都市計画」が求められたのである。
先のゴミの投棄禁止令ではないが、当時は何か問題が起こるたびに、その都度その都度、非常に素早い対応で法律を作っては、よりよいシステムを作り上げていくことが行なわれていたといえる。
私の大好きな風景画に、葛飾北斎の「隅田川両岸絵図」がある。
これは、隅田川を舞台にして、その両岸に展開する風景をずっと描いていったものである。
このほかにも、江戸時代には、富士山を題材にしたものや江戸百景と呼ばれるものなど、たくさんの名所絵が描かれている。
これらの名所絵を見ると、大きな一つの特徴があることがわかる。
江戸の名所は、ヨーロッパのように大きな建物があるから名所になるのではなく、何もないのに名所になるということだ。
これは何もなく、意味もないのだが、そこにあえて意味づけをしていく、という作業であり、いってみれば、その一つの場所を風景として切り取るのである。
これらはモニュメントでも、人工的に作り出された所でもなく、そこに自然の風景が切り出されて、一つの意味を形作っていったものであった。
このようなスポットが江戸中にあり、日本中にあったのである。
なかには、「53次」などのように数字の順番がつけられたものもあった。
ちなみに「53次」とは、華厳経55巻というお経から取った言い方で、江戸と京都を別にすると53の場所になるので53次という。
江戸から出発して京都まで行く聞に、悟りが得られるように配置されているのだが、世界観や哲学、また、宗教などと結びつけられ、数字で処理されて意味づけがなされていった。
こうして自然や道路、また都市や風景などに特有の意味づけがなされたのであった。
私は、現在の都市において、このようなか空間への意味づけがなくなってしまっているのではないかと思う。
大都市や地方都市で特にその傾向が強いのだが、自分たちの街に一体どのような意味があるのか、あるいは、そこにどのような意味を発見し、いかに形あるものとして再構築していくかという作業が欠落しているのではないかと思うのである。
今の「都市計画」は、どうも箱としての都市の計画ばかりに終始しており、それが本当の都市計画といえるのか、私には疑問に思えてならない。
箱としての都市。
もちろんそれも必要だが、いちばん大切なのは、その箱の中に生きている人間がどのように動き、どのように考え、どのように生まれて、どのように死ぬかではないだろうか。
同じように都市についていえば、建物がどのように作られ、どのように壊されていくのか。
都市の中の小さな街がどのように生まれ、死んでいくのかということになる。
別の言い方をすれば、「生」であり、「滅」であるわけだが、実は多くの都市計画において、このような生と滅の流れを考えずに、単に「発展、開発、進化」などの言葉だけが行き交っているような気がするのである。
発展や進化ではなく、生滅をみる私は、都市計画という言葉の中に、何か別のニュアンスが生まれるとすると、発展や進化といった経済効果に向かう計画ではなく、むしろ人間の移動や生滅、また、建物の生滅などの変化していくものの真の姿を見ることこそが大切なのではないかと考えている。
このような変化を非常に遠くから見つめる目が、今の都市計画には是非とも必要ではないかと思うのである。
ところで、これは世界でも稀なことだが、江戸は大都市でありながら、城壁のない街であった。
位置的にはちょうど今の山手線あたりが城壁にあたるのであろうが、実際には城壁はなく、宿場があったわけだ。
板橋や千住、新宿、また品川などには宿場があって、それぞれがすべて街道でつながっていた。
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